●V字回復で経営危機を乗り越え、債務超過を解消。資金繰りも大幅改善
●工場の環境整備で生産性が向上
●十数年ぶりに設備投資を実現
●後継経営者の育成にもつながっている
エリア:香川県
製造業(金型設計・製作、板金加工)
実施期間:2014年10月〜
株式会社関西マシン・キー工業所
新興国メーカーとの競争激化、主要ユーザーの海外移転の流れの中でリーマンショックが発生。以降、受注が戻らず赤字が続き、資金繰りが困窮しました。リース料等の未払いも発生したことから、メインバンクの薦めもあって事業再生計画を作成することになりました。
●社長をはじめ、全員が一生懸命仕事をしているのに儲からないという状況に陥っていた。
●資金繰りが困窮して、経営改善に取り組む余力がなくなっていた。
●経営が成り行きで経営管理機能がなく、環境変化に対応ができていなかった。
(1)事業再生計画の策定、金融機関調整・合意形成、再生支援融資を獲得し運転資金を確保
(2)再生計画の実行支援
・経営再建プロジェクトチームの発足、後継者、鍵となる社員への動機づけ
・組織目標の設定、「利益」至上主義へ
・経営管理体制の構築、日次・月次管理、先行管理体制の仕組みづくり
・環境整備、工場の整理整頓(捨てる!の徹底)、遊休設備の廃棄、レイアウト変更
・ビジネスフロー(ものと情報の流れ)の見える化、見積もりプロセスの見直し
・自社の強みを定義
・営業機能の構築、得意先政策の立案、営業活動の強化
・金融機関への定期業績報告、コミュニケーションの円滑化
●実行支援後、営業利益が3年で6.2倍、4年で8.2倍に増加!
●改善途上の2016.1期,2017.1期に連続減収になるも、増益を達成。
●当初はゴミの山だった事務所、生産現場が整理整頓され、作戦立案の場、生産性向上の場に変化した。
●経営数字の見える化ができ、意思決定が迅速になった。
●忙しいばかりで利益が出ない体質から、確実に利益が残る体質に変貌し、債務超過を解消した。
●内部留保も進み、資金繰りの苦労から解放された。
●金融機関から経営改善の実績が認められ、十数年ぶりの設備投資を実現した
これからは、積極的な攻めの経営に転換していきます。そのためには、売る力、新規開拓を強化していきます。人員補強もできたので、当社の強みを強化するために人材育成にも力を入れていきます。3代目に良い形でバトンを渡せるようにしていきたいと思います。
小島先生とお付き合いが始まりましたのは、リーマンショックの時で丁度この時期、貸し倒れが発生しておりました。いま現在コロナ問題で経済が滞って非常事態に陥っていますが、その当時も我々にとっては同じようなものでした。我々の業界(車、工作機械)は景気の良い時、購買意欲が高い時に潤う業界なので景気が悪いと真っ先に落ちます。回復するのは活気が出る頃となりますので一番遅くとなります。
これまでにオイルショック、ドルショック、そしてリーマン。いい時期は一瞬。いい時期といいますか、 何とか四苦八苦しなくてもお金の心配はしなくてもいい時期は束の間で、良くない期間はその何倍もの期間でした。私が入社したのが昭和40年代半ばでした。先代のオヤジには、一生懸命現場をしていたら人もついてくる、誰かがいなくなっても困らないよう全部の機械は使えないといけない、なんでも出来ることが最優先と教えられました。そのうち現状のお客様だけでは売り上げも上がらない、どうしようもないということで、したこともない営業もしました。今まで内業務ばかりで他の様子を知りませんでした。受注するには設備が問題で話になりませんでした。そこでお金もないのに設備が必須と思い、言葉は悪いですがメクラ蛇に怖じずで導入しました。
計画性はまるで無し、“設備があればなんとかなる“で、仕事(現場)は休みなくやる状態だったので、でも一人が一生懸命やっても二人分。支払いがあるので仕事は取る、でも納期に間に合わない。
お客様から、「社長は現場の仕事はしてはいけない。他にやることがあるだろう」と、よく耳にしました。やらせて管理をしろと。でも、出来ませんでした。先代は、どんな時でも従業員には充分なことしないといけないということで、盆暮れには必ず借金してお金を工面していました(私にはいただけませんでしたが…)。このままではいけない。何とかしないと3代目も同じことになる。いつか変わらないと。そのうちやる。そのうちやると。でも、出来ません。目に見えるもの(仕事をはかすこと)しか追えなくて…。
商工会の紹介で県が主催する経営相談があって無料でコンサルを受けました。その方は大手電機メーカーのOBで工程管理が得意な方で、あらたに作業指示書を作ろうとなりました。これをきっかけに切羽詰まってパソコン(エクセル)を覚えました。それまでは、見積書、納品書、請求書、全部手書きでした。(仕事に使用するCAD図等は従来出来てましたが)
作業指示書を出し、要した時間、内容をチェックするものでした。私は現場重視の人間でしたので、時間がもったいないような気がしていました(後で判るのですが 形だけで、内容を生かしてなかったから)。それから、一番に5Sをしろと言われました。実践はしました。ただそれは見た目のこととしか判断していませんでした。
そのコンサルも終了し、そのうち月日がだいぶ立ち、催促がないためか怠慢でした。なんとなく従来通り変化なく過ごしていました。しかし、リーマンショックが起こり、あたふたする羽目になりました。そんな中、銀行さんに「いくら変わろうと思っても、いくら頑張っても、頑張り方が解らない。やはり怠惰な人間にはちゃんとしたアドバイスしていただける方がいないと変われません。ダメです」というようなことを相談すると、小島先生を紹介していただけました。それがきっかけでした。お会いして数期分の決算書を見ていただいて これは?と思われたと思います。銀行さんからの紹介というのもあってか、お受けしていただきました。
はじめに来られた時、「うちはまず5Sをしましょう」と言われました(またも)。その後も、「うちは…」「うちは…」と言われました。えっ?親身に自分の会社と思ってくれていると強く感じました。ついていこうと。変われる手段はこの先生が言われることを忠実にやる。それが変われること。これしかない。この時点では、まだ5Sは来られる人が気持ちいいくらいの判断でした。我々(会社のことを親身になって考えているスタッフ、経理担当の妻、専務(3代目)と私の4人)は、経理に関しては会計士さんがいたので任せっきりで決算書の見方も十分に把握していませんでした。
それから始めないといけませんでした。それを小島先生が解りやすく図解して、仕組みを説明して頂き、毎回プロジェクトの頭に先月と同月の推移、どこがどうなっているその要因は何か等、分析していただいて、「じゃあ、どうする?」「こうする?」「どう考える?」まず我々の考え方(進歩してるか どうか)を聞いたうえで意見を下さっています。当然 宿題もあります。期末初めに今年度の計画をたて、その為には毎月毎月のノルマをクリアすること。出来ていない場合、何故?じゃあ、どうする?我々が立てた目標に向かってやる。普通時と非常時のやり方。早め早めに手を打つ。いろんなことを想定して。
話は前後しますが、これまでは3代目に内容の良くない会社を少し良くなってから決算書も見せようと思っていました。何も把握していないのに教えることもできない。それも悩んでいました。小島先生は“今”を共有することだとおっしゃってくれました。スタッフに対しても、“今”の問題を共有すること。それを書き出して共有し、意見をまとめる。問題が出た時、必ずといっていいくらい、例を出してくれたり、法則を教えてくれます。物事には必ず“法則”があると。無駄なことはしない。的を教えてくれます。
いまだに納期もあって現場に入ることもしばしばですが、「それはちがうでしょう」とか、よく言われるのが、「優先順位」、「その仕事は私にしかできないか?」「社員を信頼して、まかせて!」「任せられないものを先にせよ」
他人の釜の飯を食ったことのない私にはとても新鮮だし強烈だし、今まで苦労して見つからなかったものが、答えはそこにありました。3代目も大学を出てすぐ入社したものですから同じです。同じことを味わうこととなります。今はプロジェクトを通して意思疎通を感じます。お陰様で教育の一貫とも捉えております。なかなか親の考えは子どもには伝わりません。感謝です。経営とは難しいものではなく、角度を変えてみると面白いものだとか、こうやればこうなるとか、遊びを通じて学ばせてもらえるのがMGセミナーです。体験すべきです。
コロナ問題が発生するまでは右肩上がりで改善でき、銀行さんも「信じられないほど驚異的に結果出ています」とおっしゃってくれました。支援後の変化についてですが、これは経理担当がひしひしと感じております。以前は、毎月毎月財布の中を見て、入ってくるお金、出ていくお金で神経の安らぐ暇がありませんでした。資金繰りです。それは何事も計画、目標を立て、早め早めに対処することで解決できました。頭ではわかっていたのですが、実際できてなかったのが現実でした。それによって、守りの経営から攻めの経営に転じることができました。お金は天下の回りものだといいますが、会社の中のお金も回さないと進展がない。
本年度の目標は昨年度の1.5倍でしたが、コロナ問題で非常時となっております。それでも早め早めの対策を小島先生が打ち出してくれ、銀行さんと相談して頂いております。経営者の一番の仕事は銀行さんとの打ち合わせ。これは最重要です。言いたいことも十分言えない内容も説明してくれ、銀行さんの了解を賜っております。非常に心強いです。以前のままでしたら、おそらくこのコロナ問題は対処できていないと思います。存続が危うくなるところでした。ローマは1日にして成らずで、先生が言われこと、プロジェクトの内容を翌日の朝礼で皆で共有するのですが、私も含めてですが、すぐ忘れがちな部分があります。何度も何度も話さないと本当には浸透しません。
支援後1年で、目に見えて変われました。何が?お客様が求めているものは何かと考えるようになりました。次の一手を考えるようになりました。世の中の動きが気になるようになりました。市場は何を求めているのか?開発費を生み出すこと。1年後、3年後、5年後、10年後、先を見通すこと。今は、コロナの影響でなかなか動きが取れないので遅れが気になり不安がいっぱいですが、小島先生を信じて頑張ります。
我々のような小規模な会社は知恵もない知識もない事を早く受け入れ自覚し、小島先生にアドバイスいただいた方が、廻り道しなくて的確に前に進めると思います。
小島先生とお付き合いが始まりましたのは、リーマンショックの時で丁度この時期、貸し倒れが発生しておりました。いま現在コロナ問題で経済が滞って非常事態に陥っていますが、その当時も我々にとっては同じようなものでした。我々の業界(車、工作機械)は景気の良い時、購買意欲が高い時に潤う業界なので景気が悪いと真っ先に落ちます。回復するのは活気が出る頃となりますので一番遅くとなります。
これまでにオイルショック、ドルショック、そしてリーマン。いい時期は一瞬。いい時期といいますか、 何とか四苦八苦しなくてもお金の心配はしなくてもいい時期は束の間で、良くない期間はその何倍もの期間でした。私が入社したのが昭和40年代半ばでした。先代のオヤジには、一生懸命現場をしていたら人もついてくる、誰かがいなくなっても困らないよう全部の機械は使えないといけない、なんでも出来ることが最優先と教えられました。そのうち現状のお客様だけでは売り上げも上がらない、どうしようもないということで、したこともない営業もしました。今まで内業務ばかりで他の様子を知りませんでした。受注するには設備が問題で話になりませんでした。そこでお金もないのに設備が必須と思い、言葉は悪いですがメクラ蛇に怖じずで導入しました。
計画性はまるで無し、“設備があればなんとかなる“で、仕事(現場)は休みなくやる状態だったので、でも一人が一生懸命やっても二人分。支払いがあるので仕事は取る、でも納期に間に合わない。
お客様から、「社長は現場の仕事はしてはいけない。他にやることがあるだろう」と、よく耳にしました。やらせて管理をしろと。でも、出来ませんでした。先代は、どんな時でも従業員には充分なことしないといけないということで、盆暮れには必ず借金してお金を工面していました(私にはいただけませんでしたが…)。このままではいけない。何とかしないと3代目も同じことになる。いつか変わらないと。そのうちやる。そのうちやると。でも、出来ません。目に見えるもの(仕事をはかすこと)しか追えなくて…。
商工会の紹介で県が主催する経営相談があって無料でコンサルを受けました。その方は大手電機メーカーのOBで工程管理が得意な方で、あらたに作業指示書を作ろうとなりました。これをきっかけに切羽詰まってパソコン(エクセル)を覚えました。それまでは、見積書、納品書、請求書、全部手書きでした。(仕事に使用するCAD図等は従来出来てましたが)
作業指示書を出し、要した時間、内容をチェックするものでした。私は現場重視の人間でしたので、時間がもったいないような気がしていました(後で判るのですが 形だけで、内容を生かしてなかったから)。それから、一番に5Sをしろと言われました。実践はしました。ただそれは見た目のこととしか判断していませんでした。
そのコンサルも終了し、そのうち月日がだいぶ立ち、催促がないためか怠慢でした。なんとなく従来通り変化なく過ごしていました。しかし、リーマンショックが起こり、あたふたする羽目になりました。そんな中、銀行さんに「いくら変わろうと思っても、いくら頑張っても、頑張り方が解らない。やはり怠惰な人間にはちゃんとしたアドバイスしていただける方がいないと変われません。ダメです」というようなことを相談すると、小島先生を紹介していただけました。それがきっかけでした。お会いして数期分の決算書を見ていただいて これは?と思われたと思います。銀行さんからの紹介というのもあってか、お受けしていただきました。
はじめに来られた時、「うちはまず5Sをしましょう」と言われました(またも)。その後も、「うちは…」「うちは…」と言われました。えっ?親身に自分の会社と思ってくれていると強く感じました。ついていこうと。変われる手段はこの先生が言われることを忠実にやる。それが変われること。これしかない。この時点では、まだ5Sは来られる人が気持ちいいくらいの判断でした。我々(会社のことを親身になって考えているスタッフ、経理担当の妻、専務(3代目)と私の4人)は、経理に関しては会計士さんがいたので任せっきりで決算書の見方も十分に把握していませんでした。
それから始めないといけませんでした。それを小島先生が解りやすく図解して、仕組みを説明して頂き、毎回プロジェクトの頭に先月と同月の推移、どこがどうなっているその要因は何か等、分析していただいて、「じゃあ、どうする?」「こうする?」「どう考える?」まず我々の考え方(進歩してるか どうか)を聞いたうえで意見を下さっています。当然 宿題もあります。期末初めに今年度の計画をたて、その為には毎月毎月のノルマをクリアすること。出来ていない場合、何故?じゃあ、どうする?我々が立てた目標に向かってやる。普通時と非常時のやり方。早め早めに手を打つ。いろんなことを想定して。
話は前後しますが、これまでは3代目に内容の良くない会社を少し良くなってから決算書も見せようと思っていました。何も把握していないのに教えることもできない。それも悩んでいました。小島先生は“今”を共有することだとおっしゃってくれました。スタッフに対しても、“今”の問題を共有すること。それを書き出して共有し、意見をまとめる。問題が出た時、必ずといっていいくらい、例を出してくれたり、法則を教えてくれます。物事には必ず“法則”があると。無駄なことはしない。的を教えてくれます。
いまだに納期もあって現場に入ることもしばしばですが、「それはちがうでしょう」とか、よく言われるのが、「優先順位」、「その仕事は私にしかできないか?」「社員を信頼して、まかせて!」「任せられないものを先にせよ」
他人の釜の飯を食ったことのない私にはとても新鮮だし強烈だし、今まで苦労して見つからなかったものが、答えはそこにありました。3代目も大学を出てすぐ入社したものですから同じです。同じことを味わうこととなります。今はプロジェクトを通して意思疎通を感じます。お陰様で教育の一貫とも捉えております。なかなか親の考えは子どもには伝わりません。感謝です。経営とは難しいものではなく、角度を変えてみると面白いものだとか、こうやればこうなるとか、遊びを通じて学ばせてもらえるのがMGセミナーです。体験すべきです。
コロナ問題が発生するまでは右肩上がりで改善でき、銀行さんも「信じられないほど驚異的に結果出ています」とおっしゃってくれました。支援後の変化についてですが、これは経理担当がひしひしと感じております。以前は、毎月毎月財布の中を見て、入ってくるお金、出ていくお金で神経の安らぐ暇がありませんでした。資金繰りです。それは何事も計画、目標を立て、早め早めに対処することで解決できました。頭ではわかっていたのですが、実際できてなかったのが現実でした。それによって、守りの経営から攻めの経営に転じることができました。お金は天下の回りものだといいますが、会社の中のお金も回さないと進展がない。
本年度の目標は昨年度の1.5倍でしたが、コロナ問題で非常時となっております。それでも早め早めの対策を小島先生が打ち出してくれ、銀行さんと相談して頂いております。経営者の一番の仕事は銀行さんとの打ち合わせ。これは最重要です。言いたいことも十分言えない内容も説明してくれ、銀行さんの了解を賜っております。非常に心強いです。以前のままでしたら、おそらくこのコロナ問題は対処できていないと思います。存続が危うくなるところでした。ローマは1日にして成らずで、先生が言われこと、プロジェクトの内容を翌日の朝礼で皆で共有するのですが、私も含めてですが、すぐ忘れがちな部分があります。何度も何度も話さないと本当には浸透しません。
支援後1年で、目に見えて変われました。何が?お客様が求めているものは何かと考えるようになりました。次の一手を考えるようになりました。世の中の動きが気になるようになりました。市場は何を求めているのか?開発費を生み出すこと。1年後、3年後、5年後、10年後、先を見通すこと。今は、コロナの影響でなかなか動きが取れないので遅れが気になり不安がいっぱいですが、小島先生を信じて頑張ります。
我々のような小規模な会社は知恵もない知識もない事を早く受け入れ自覚し、小島先生にアドバイスいただいた方が、廻り道しなくて的確に前に進めると思います。